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どんな者となるべきかをよく考えましょう

どんな者となるべきかをよく考えましょう

「あなた方​は,聖​なる​行状​と​敬虔​な​専心[を​示す]者​と​なる​べき​で​は​あり​ませ​ん​か」。―ペテ​二 3:11,12

1,2. 神​の​是認​を​得る​に​は,どんな​者​と​なる​べき​です​か。

自分​が​他​の​人​から​どう​思わ​れ​て​いる​か​を​気​に​する​の​は​自然​な​こと​です。しかし​クリスチャン​と​し​て,エホバ​から​どう​みなさ​れ​て​いる​か​を​気​に​かける​ほう​が​大切​で​は​ない​でしょ​う​か。エホバ​は​宇宙​で​最も​偉大​な​方​で​あり,「命​の​源」で​あら​れる​から​です。―詩 36:9

2 使徒​ペテロ​は,わたしたち​が​エホバ​の​観点​から​見​て​どんな​者​と​なる​べき​か​を​強調​し,「聖​なる​行状​と​敬虔​な​専心」を​示す​よう​促し​て​い​ます。ペテロ​第​二 3:11,12​を​読む。神​の​是認​を​得る​ため​に​は,「行状」が​聖​なる​もの,つまり​道徳​的​に​も​精神​的​に​も​霊的​に​も​清い​もの​で​なけれ​ば​なり​ませ​ん。さらに,神​へ​の​畏敬​の​念​と​忠節​な​愛着​の​うち​に「敬虔​な​専心」の​行ない​を​する​必要​が​あり​ます。ですから,神​の​是認​を​求める​こと​に​は,わたしたち​の​行動​だけ​で​なく​内面​も​関係​し​て​い​ます。エホバ​は「心​を​調べ​られる​方」な​の​で,わたしたち​が​行状​に​おい​て​聖​なる​もの​か​どう​か,また​神​へ​の​全き​専心​を​抱い​て​いる​か​どう​か​を​ご存じ​です。―代​一 29:17

3. 神​と​の​関係​に​関し​て,どんな​点​を​考える​と​よい​です​か。

3 悪魔​サタン​は,わたしたち​が​神​の​是認​を​求める​こと​を​快く​思い​ませ​ん。できる​限り​の​こと​を​し​て,わたしたち​に​エホバ​と​の​関係​を​捨て​させ​よう​と​し​ます。ためらう​こと​なく​偽り​や​欺まん​を​用い​て​わたしたち​を​たぶらかし,神​から​引き離そ​う​と​し​ます。(ヨハ 8:44。コリ​二 11:13‐15)ですから,次​の​点​を​考える​の​は​賢明​です。「サタン​は​どの​よう​に​人々​を​欺い​て​いる​だろ​う​か。エホバ​と​の​関係​を​守る​ため​に​何​が​できる​だろ​う​か」。

サタン​は​どの​よう​に​人々​を​欺い​て​いる​か

4. サタン​は,わたしたち​と​神​と​の​関係​を​損なお​う​と,何​を​狙い​ます​か。なぜ​です​か。

4 弟子​ヤコブ​は​こう​書い​て​い​ます。「おのおの​自分​の​欲望​に​引き出さ​れ​て​誘わ​れる​こと​に​より​試練​を​受ける​の​です。次い​で​欲望​は,はらん​だ​とき​に,罪​を​産み​ます。そして​罪​は,遂げ​られ​た​とき​に,死​を​生み出す​の​です」。(ヤコ 1:14,15)サタン​は,神​へ​の​愛着​を​失わせ​よう​と​し​て,わたしたち​の​欲望​の​源​で​ある​心​を​狙い​ます。

5,6. (イ)サタン​は​どの​よう​な​手段​を​使っ​て​わたしたち​を​狙い​ます​か。(ロ)サタン​は​わたしたち​が​心​に​悪い​欲望​を​抱く​よう,どんな​もの​を​用い​て​誘惑​し​ます​か。それら​を​どれ​ほど​巧み​に​用い​ます​か。

5 サタン​は​どの​よう​な​手段​を​使っ​て​わたしたち​の​心​を​狙う​の​でしょ​う​か。聖書​は,「全​世界​が​邪悪​な​者​の​配下​に​ある」と​述べ​て​い​ます。(ヨハ​一 5:19)サタン​の​武器​に​は,「世​に​ある​もの」が​含ま​れ​ます。ヨハネ​第​一 2:15,16​を​読む。悪魔​は​幾千​年​に​も​わたり,わたしたち​の​周囲​の​環境​を​念入り​に​形作っ​て​き​まし​た。この​世​で​生活​し​て​いる​わたしたち​は,悪魔​の​巧妙​な​策略​から​身​を​守る​必要​が​あり​ます。―ヨハ 17:15

6 サタン​は,わたしたち​が​心​に​悪い​欲望​を​抱く​よう​に​仕向け​ます。使徒​ヨハネ​は,サタン​が​わたしたち​を​誘惑​する​ため​に​用いる​三つ​の​もの​を​挙げ​て​い​ます。(1)「肉​の​欲望」,(2)「目​の​欲望」,(3)「自分​の​資力​を​見せびらかす​こと」です。サタン​は​これら​を​用い​て​荒野​で​イエス​を​誘惑​し​よう​と​し​まし​た。長い​年月​に​わたっ​て​そう​し​た​わな​を​使っ​て​き​た​の​で​熟達​し​て​おり,個々​の​人​の​持つ​傾向​に​応じ​て​わな​の​仕掛け​方​を​変え​て​き​ます。では,自分​の​身​を​守る​ため​に​行なえる​こと​を​考える​前​に,悪魔​が​首尾​よく​エバ​を​誘惑​し​た​例​と,神​の​み子​を​誘惑​し​よう​と​し​て​失敗​し​た​例​を​見​て​み​ましょ​う。

「肉​の​欲望」

エバ​は「肉​の​欲望」に​負け​て​破滅​を​身​に​招い​た(7​節​を​参照)

7. サタン​は​どの​よう​に「肉​の​欲望」を​用い​て​エバ​を​誘惑​し​まし​た​か。

7 人間​は,食物​を​取り入れる​必要​が​あり​ます。それ​は​体​を​養う​ため​に​欠か​せ​ませ​ん。創造​者​は,地球​が​食物​を​豊か​に​産出​する​よう​に​造ら​れ​まし​た。サタン​は,神​の​ご意志​を​行なう​こと​から​わたしたち​を​そらせ​よう​と​し​て,食物​に​対する​自然​な​欲求​に​訴えかける​か​も​しれ​ませ​ん。エバ​の​場合​に​どの​よう​に​そう​し​た​か​考え​て​み​ましょ​う。創世記 3:1‐6​を​読む。サタン​は​エバ​に,「善悪​の​知識​の​木」の​実​を​食べ​て​も​死な​ない​と​告げ​まし​た。そして,その​木​から​食べる​日​に​神​の​よう​に​なる​と​言い​まし​た。(創 2:9)その​よう​に​し​て,生き​続ける​ため​に​神​に​従順​で​ある​必要​は​ない​と​ほのめかし​た​の​です。なんと​あからさま​な​うそ​でしょ​う。それ​を​聞い​た​エバ​に​は​二つ​の​選択​肢​が​あり​まし​た。その​考え​を​退ける​か,それ​に​つい​て​考え​続け​て​実​に​対する​欲望​を​募ら​せる​か​の​どちら​か​です。園​の​他​の​すべて​の​木​から​自由​に​食べる​こと​が​でき​た​に​も​かかわら​ず,エバ​は​サタン​が​園​の​真ん中​に​ある​木​に​つい​て​述べ​た​こと​を​考え続け,「その​実​を​取っ​て​食べ​はじめ」まし​た。サタン​は​こう​し​て​エバ​の​中​に,創造​者​が​禁じ​た​もの​に​対する​欲望​を​生じ​させ​まし​た。

イエス​は​どんな​誘惑​に​面し​て​も​確固​と​し​て​い​た(8​節​を​参照)

8. サタン​は​どの​よう​に「肉​の​欲望」を​用い​て​イエス​を​誘惑​し​よう​と​し​まし​た​か。成功​し​なかっ​た​の​は​なぜ​です​か。

8 サタン​は​同じ​手法​を​用い​て​荒野​で​イエス​を​誘惑​し​よう​と​し​まし​た。イエス​が​40​日​40​夜​断食​を​し​た​後,サタン​は​食物​に​対する​イエス​の​欲求​に​訴えかけ,「あなた​が​神​の​子​で​ある​なら,この​石​に,パン​に​なる​よう​に​命じ​なさい」と​言い​まし​た。(ルカ 4:1‐3)イエス​に​は​二つ​の​選択​肢​が​あり​まし​た。食物​を​取り入れる​必要​を​満たす​ため​に​奇跡​的​な​力​を​使う​か,使わ​ない​か​の​どちら​か​です。イエス​は,利己​的​な​目的​の​ため​に​そう​し​た​力​を​使う​べき​で​は​ない​と​知っ​て​い​まし​た。おなか​が​すい​て​い​まし​た​が,空腹​を​満たす​より​も​エホバ​と​の​関係​を​保つ​ほう​が​大事​でし​た。それで,こう​答え​ます。「『人​は​パン​だけ​で​生きる​の​で​は​なく,エホバ​の​み口​から​出る​すべて​の​もの​に​よる​の​で​ある』と​書い​て​あり​ます」。―ルカ 4:4,脚注。

「目​の​欲望」

9. 「目​の​欲望」と​いう​表現​は​何​を​示唆​し​て​い​ます​か。エバ​の​場合,サタン​は​どの​よう​に​この​欲望​に​訴えかけ​まし​た​か。

9 ヨハネ​は,誘惑​に​なる​もの​と​し​て「目​の​欲望」も​挙げ​て​い​ます。この​表現​は,何​か​を​見​て​いる​だけ​で​それ​に​対する​欲望​が​生じる​こと​が​ある​と​いう​こと​を​示唆​し​て​い​ます。エバ​の​場合,サタン​は​この​欲望​に​訴えかけ,「あなた方​の​目​が​必ず​開け」る​よう​に​なる​と​言い​まし​た。禁じ​られ​た​実​を​見れ​ば​見る​ほど,それ​は​エバ​の​目​に​魅力​的​に​映り​まし​た。エバ​に​とっ​て​その​木​は「目​に​慕わしい​もの」に​見え​まし​た。

10. サタン​は​どの​よう​に「目​の​欲望」を​用い​て​イエス​を​誘惑​し​よう​と​し​まし​た​か。イエス​は​どう​応じ​まし​た​か。

10 イエス​の​場合​は​どう​だっ​た​でしょ​う​か。サタン​は​イエス​に「またたく間​に​人​の​住む​地​の​すべて​の​王国​を​見せ」,「この​権威​すべて​と​これら​の​栄光​を​あなた​に​上げ​ましょ​う」と​言い​まし​た。(ルカ 4:5,6)イエス​は​肉眼​で​瞬時​に​すべて​の​王国​を​見​た​わけ​で​は​ない​でしょ​う。しかし​サタン​は,幻​に​よっ​て​それら​の​王国​の​栄光​を​見せれ​ば​イエス​を​幾らか​で​も​魅了​できる​と​思っ​た​に​違いあり​ませ​ん。恥知らず​に​も,「あなた​が,わたし​の​前​で​崇拝​の​行為​を​する​なら,それ​は​皆​あなた​の​もの​に​なる​の​です」と​持ちかけ​まし​た。(ルカ 4:7)イエス​は,サタン​が​望む​よう​な​者​に​なり​たい​と​は​全く​思い​ませ​ん​でし​た。即座​に​こう​答え​ます。「『あなた​の​神​エホバ​を​あなた​は​崇拝​し​なけれ​ば​なら​ず,この​方​だけ​に​神聖​な​奉仕​を​ささげ​なけれ​ば​なら​ない』と​書い​て​あり​ます」。―ルカ 4:8

「自分​の​資力​を​見せびらかす​こと」

11. エバ​は​サタン​に​どの​よう​に​誘惑​さ​れ​まし​た​か。

11 ヨハネ​は​世​に​ある​もの​を​挙げ​た​際,「自分​の​資力​を​見せびらかす​こと」に​言及​し​まし​た。地上​に​アダム​と​エバ​以外​の​人間​が​い​なかっ​た​時​に​は,当然​ながら​二​人​は​他​の​人​に「自分​の​資力​を​見せびらかす」こと​は​でき​ませ​ん​でし​た。しかし,二​人​は​誇り​を​表わし​まし​た。サタン​は​エバ​を​誘惑​し​た​際,神​が​何​か​素晴らしい​もの​を​与える​こと​を​差し控え​て​いる​と​ほのめかし​まし​た。「善悪​の​知識​の​木」から​食べ​た​その​日​に,「必ず​神​の​よう​に​なっ​て​善悪​を​知る​よう​に​なる」と​言っ​た​の​です。(創 2:17; 3:5)その​よう​に​し​て​サタン​は,エバ​が​エホバ​から​独立​できる​と​示唆​し​まし​た。エバ​が​その​うそ​を​受け入れ​た​要因​の​一つ​は,誇り​の​気持ち​だっ​た​に​違いあり​ませ​ん。エバ​は,自分​は​死ぬ​こと​は​ない​と​信じ​て,禁じ​られ​た​実​を​食べ​まし​た。それ​は​大きな​間違い​でし​た。

12. サタン​は​別​の​どんな​方法​で​イエス​を​誘惑​し​よう​と​し​まし​た​か。イエス​は​どう​応じ​まし​た​か。

12 エバ​と​は​対照​的​に,イエス​は​謙遜​さ​の​素晴らしい​模範​を​示し​まし​た。サタン​は​また​別​の​方法​で​誘惑​を​仕掛け​まし​た​が,イエス​は​何​か​華々しい​こと​を​し​て​神​を​試みる​の​を​拒み​まし​た。その​よう​な​誇り高ぶっ​た​行動​を​取る​こと​を​考え​よう​と​も​し​なかっ​た​の​です。イエス​は​端的​に​こう​返答​し​まし​た。「『あなた​の​神​エホバ​を​試み​て​は​なら​ない』と​言わ​れ​て​い​ます」。―ルカ 4:9‐12​を​読む。

どう​すれ​ば​エホバ​と​の​関係​を​守れる​か

13,14. 今日​サタン​は​どの​よう​に​人々​を​誘惑​し​よう​と​し​ます​か。

13 今日,サタン​は​エバ​と​イエス​に​用い​た​の​と​同様​の​手法​で​人々​を​誘惑​し​よう​と​し​ます。自分​の​世​に​不​道徳​や​暴飲​暴食​を​はびこら​せ,「肉​の​欲望」に​訴えかけ​ます。ポルノ(とりわけ​インターネット​上​の​もの)に​よっ​て​不​用心​な​人​の​注意​を​引き,「目​の​欲望」に​訴えかけ​ます。また,物質​主義​や​権力​や​名声​を​使っ​て,誇り​の​気持ち​を​抱く​人​や「自分​の​資力​を​見せびらかす」傾向​の​ある​人​に​強力​な​誘惑​を​仕掛け​ます。

これら​の​場面​で,聖書​の​どんな​原則​を​思い起こす​べき​です​か(13,14​節​を​参照)

14 「世​に​ある​もの」は,釣り人​が​使う​ルアー​の​よう​です。魅力​的​に​見え​ます​が,“針”が​付い​て​い​ます。サタン​は,人々​が​普段​の​生活​で​必要​だ​と​考える​もの​を​利用​し,神​の​律法​に​反する​事柄​を​行ない​たい​と​思わ​せ​ます。そう​し​た​巧妙​な​誘惑​に​は,人​の​欲望​を​刺激​し,心​を​腐敗​さ​せる​影響​が​あり​ます。神​の​ご意志​を​行なう​こと​より,個人​的​な​必要​を​満たし​たり​楽しみ​を​追い求め​たり​する​こと​を​優先​す​べき​だ​と​信じ込ま​せる​の​です。わたしたち​は​その​よう​な​誘惑​に​負け​て​しまう​でしょ​う​か。

15. どう​すれ​ば​イエス​に​倣い,サタン​の​誘惑​を​退け​られ​ます​か。

15 エバ​は​サタン​の​誘惑​に​屈し​まし​た​が,イエス​は​首尾​よく​誘惑​を​退け​まし​た。毎回,「……と​書い​て​あり​ます」と​か「……と​言わ​れ​て​い​ます」と​述べ​て,聖書​に​基づい​て​返答​し​まし​た。わたしたち​も​聖書​を​勤勉​に​研究​し​て​いる​なら,その​内容​に​精通​し,誘惑​に​直面​し​た​時​に​確固​と​し​て​いる​の​に​役立つ​聖句​を​思い起こす​こと​が​できる​でしょ​う。(詩 1:1,2)神​へ​の​忠節​を​保っ​た,聖書​中​の​忠実​な​人​たち​の​例​を​思い​に​留めれ​ば,その​手本​に​倣う​よう​促さ​れ​ます。(ロマ 15:4)本当​に​エホバ​へ​の​畏敬​の​念​が​あり,エホバ​が​愛する​もの​を​愛し,エホバ​が​憎ま​れる​もの​を​憎ん​で​いる​なら,身​の​守り​に​なり​ます。―詩 97:10

16,17. わたしたち​の「理性」は,自分​が​どんな​者​で​ある​か​に​影響​を​及ぼし​ます。どの​よう​に​でしょ​う​か。

16 使徒​パウロ​は​わたしたち​に,「理性」を​働か​せる​よう​励まし​て​い​ます。世​の​考え​で​は​なく,神​の​お考え​に​よっ​て​形作ら​れる​者​と​なる​ため​です。(ロマ 12:1,2)パウロ​は,わたしたち​が​何​に​つい​て​考える​か​を​しっかり​コントロール​する​必要​性​を​強調​し,こう​述べ​まし​た。「わたしたち​は,いろいろ​な​推論​や,神​の​知識​に​逆らっ​て​立て​られ​た​一切​の​高大​な​もの​を​覆し​て​いる​の​です。そして,一切​の​考え​を​とりこ​に​し​て​キリスト​に​従順​に​ならせ​て​い​ます」。(コリ​二 10:5)わたしたち​が​考える​事柄​は,どんな​者​で​ある​か​に​大きな​影響​を​及ぼす​の​で,築き上げる​こと​を「考え続け」る​必要​が​あり​ます。―フィリ 4:8

17 ふさわしく​ない​考え​や​欲望​を​糧​と​し​て​いる​なら,聖​なる​者​に​は​なれ​ませ​ん。わたしたち​は「清い​心」で​エホバ​を​愛さ​なけれ​ば​なり​ませ​ん。(テモ​一 1:5)しかし,心​は​不実​で​あり,自分​が「世​に​ある​もの」の​影響​を​どれ​ほど​受け​て​いる​か​に​気づか​ない​こと​さえ​あり​ます。(エレ 17:9)ですから,聖書​から​学ん​だ​こと​に​照らし​て​正直​に​自分​を​見つめ,「自分​が​信仰​に​ある​か​どう​か​を​絶え​ず​試し」,「自分​自身​が​どんな​もの​で​ある​か​を​絶え​ず​吟味」す​べき​で​は​ない​でしょ​う​か。―コリ​二 13:5

18,19. エホバ​の​望む​よう​な​者​と​なる​こと​を​決意​す​べき​な​の​は​なぜ​です​か。

18 「世​に​ある​もの」を​退ける​の​に​役立つ​別​の​点​は,霊感​に​よる​ヨハネ​の​次​の​言葉​を​思い​に​留める​こと​です。「世​は​過ぎ去り​つつ​あり,その​欲望​も​同じ​です。しかし,神​の​ご意志​を​行なう​者​は​永久​に​とどまり​ます」。(ヨハ​一 2:17)サタン​の​体制​は​恒久​不変​に​思え​た​と​し​て​も,やがて​必ず​終わり​を​迎え​ます。サタン​の​世​が​提供​する​もの​に​永続​的​な​もの​は​何​も​あり​ませ​ん。その​こと​を​覚え​て​いる​なら,サタン​の​誘惑​に​陥ら​ない​よう​に​守ら​れ​ます。

19 使徒​ペテロ​は,神​に​是認​さ​れる​者​と​なる​よう​促し,こう​述べ​て​い​ます。「エホバ​の​日​の​臨在​を​待ち,それ​を​しっかり​と​思い​に​留める​者​と​なる​べき​で​は​あり​ませ​ん​か。その​日​に​天​は​燃え​て​溶解​し,諸​要素​は​極度​に​熱し​て​溶ける​の​です」。(ペテ​二 3:12)もう​間​も​なく​その​日​が​来​て,エホバ​は​サタン​の​世​を​ことごとく​滅ぼさ​れ​ます。その​時​まで,サタン​は​エバ​と​イエス​を​誘惑​し​た​よう​に,「世​に​ある​もの」を​使っ​て​わたしたち​を​誘惑​し​続ける​でしょ​う。わたしたち​は​エバ​の​よう​に​自分​の​欲望​を​満足​さ​せ​よう​と​し​て​は​なり​ませ​ん。そう​する​なら,サタン​を​自分​の​神​と​し​て​いる​こと​に​なり​ます。誘惑​が​どれ​ほど​魅力​的​に​見える​と​し​て​も,イエス​の​よう​に​それ​を​退ける​必要​が​あり​ます。では,一人一人​が,エホバ​の​望む​よう​な​者​と​なる​こと​を​固く​決意​し​ましょ​う。